ライター/デザイナーのAriga Yurikaさんが、「日常を旅するーマンガ家”織田博子”の魅力」インタビュー記事を作成してくださいました。
書籍「世界のおじちゃん画集」で全文掲載した内容をこちらでも掲載いたしました。
インタビュー:Yurika Ariga https://note.com/yurika_works
プロローグ
3人の子育てをしながら、世界中を旅した経験や、日常で出会った世界の家庭料理を題材に人間ドラマを漫画で描いていく。飽くなき好奇心と尽きることのないエネルギーと情熱。キラキラと輝く大きな瞳と、えくぼが似合うどこか幼さを感じさせる屈託のない笑顔。凛として唯一無二の存在感を放つ。彼女が秘めるエネルギーの源は一体どこにあるのだろう。
作品では知ることのできないマンガ家”織田博子”とはどんな女性なのか。常に新しいものを探し、感じ、表現する。旅、家庭料理、子育て……と、いくつものフィールドを武器に成長をし続ける”織田博子”の魅力に迫る。
エピソード1 序章
そんな織田の生い立ちについて聞いてみよう。
生まれは埼玉県大宮市(現さいたま市)。三人兄弟の長女で、下には2歳ずつ離れた弟と、妹がいる。兄弟は仲が良く、今でも良く遊ぶ仲だという。両親は芸術・美術関連の職業ではなかったそうだが、今や兄弟もアートやデザインに関わる芸術一家だ。子供達同士で小さいころから漫画を書いたり、見せ合ったり一緒に同人誌を描いたりもしていたという。家族仲良く、円満な家庭で育ったのだろうと感じた。
織田は小さいころから、物語を考えることが好きだった。兄弟で遊んでいたRPGのゲームの中で繰り広げられる世界をどんどん広げ、物語を作って(妄想して)いたのだそう。このキャラクターは何を食べてるのか、この先にはきっとこんな世界が広がっているだろう、このキャラクターとこのキャラクターはきっとこういう関係性だ、など。
隣でゲームをする弟の横で、妄想の物語を繰り広げ、話し続けていた。9歳にして、妄想した話を言語化してしまう想像力と構想力。すでにその頃にマンガ家としての才能が芽生え始めていたのだ。
そして絵を仕事にしたいと思ったのも、その頃だ。きっかけとなったのは、イラストレーター・画家”天野喜孝”の存在だった。絵を仕事にできる”イラストレーター”という職業があるのか!と衝撃を受け、小学校5年生の時に、初めて絵を仕事にしたいという夢ができた。
その後、学生時代は美術部に所属し、絵の実力、経験を着実に積み重ねる。現在のマンガ家への道をまっすぐ歩んできたのだろうと想像した。しかし、順風満帆な道のりを歩んできたわけではなかった。高校時代は、美術部に所属したり、軽音学部でドラムをやったりと、少し絵から離れた時期だった。好きなことをしつつ、進路を考えていく中で、美大への進学を検討する。しかし、美術部の顧問からまさかの「君には美大は薦めない」の一言。悔しい気持ちを抱えながら、四大への進学を決意することになる。そこから独学で受験勉強を開始し、現役で早稲田大学第二文学部に合格。美大へは進学しなかったものの、早稲田大学では絵画系サークルに所属した。サークルでの経験は後にマンガ家としての人生をスタートするきっかけとなる。そして大学での多様なバックグラウンドを持つ人との出会いは、今まで知らなかった世界への興味を掻き立て、この時から既に世界をフィールドに活動する基盤を築いていた。
エピソード2 決断
大学卒業後は、グラフィックの仕事を志したが、納得した就職活動ができなかった。そして縁あってエンジニアの仕事をスタートすることになる。しかし、いつか世界中を旅したい!という思いを抱いていた織田は25歳の時、「世界を旅するなら今だ」と会社を辞め、7か月間のユーラシア大陸一人旅に出ることを決断。その決断力と、行動力に脱帽した。ところで、筆者はいま26歳。今の私とほぼ同じタイミングで人生を左右するような決断を下している、その事実だけでも勇気をもらえる。自分の欲望に従うこと、自らに自由を与えること、きっと多くの人が自分の欲望を理解していながらも、いろいろな言い訳をして避けてしまいがちだ。言い訳はいくらでもできる中で、自分の気持ちに従って思い切って行動に移したのは、織田の真の強さからだろう。
せっかく海外に出るチャンスがあるのだから何か自分のものにしたい、そう考えた織田は「家庭料理」に目をつけた。「家庭料理」は世界共通のもの。世界中どこでも、家族や親しい人々と食卓を囲み、団欒する。そんな普通で当たり前の視点を通して、織田は様々な文化を学び、自ら体験した。日本にいる友人や親戚などの繋がりで海外に暮らす人はいないか、家庭にお邪魔させてもらえないか、頼み込みで何件かアポイントを獲得。もちろん、現地で自らが築き広げていったご縁もたくさんある。
家庭料理を通して異文化に触れてきた織田は、「海外の多様な文化を伝えたい」そんな想いで今彼女は漫画、料理教室、広報誌、ラジオなど多岐に渡る活動を通してその楽しさを発信し続ける。
漫画では、一人一人の表情がとても豊かに描かれている。ひとつひとつ緻密に描かれる建物や美術品などのイラストも素敵だが、何よりも”人”がとてもリアルに描かれている。それもそのはず、そこに描かれている人物は織田が実際に会い、言葉の壁を超えて人間関係を築いてきた人々なのだから。そして家庭料理を通じて、彼らとの思い出や、記憶を描いている。キャラクター、人々の雰囲気、文化があまりにも地域で異なることには驚かされる。漫画でここまで違いを感じるのであれば、実際に会ったらどれだけ多様性を感じるのだろうか。それは現地でしか体験できないのだろうと実感するほど、旅に出たくなる。
エピソード3 時間
2023年の夏に、奈良に2週間滞在していた織田。非日常の環境の中で過ごす中で感じたことがあったようだ。旅が始まって何日かは時間を意識してしまい、何時までにこれをして、何時までには移動して……などタイムスケジュールを意識して行動していた。しかし、旅が始まってから1週間弱のところで体調を崩したことがきっかけとなり、タイムスケジュールを考えることをしなくなった。そこからふっと、「先のことを考えず、時間も気にせず、目の前のことだけに集中すればいい」というマインドに切り替わり、そこから不思議と毒みたいなものが抜けて楽になる経験をしたという。このエピソードにはとても共感した。私も先日旅行に行った時、同じような体験をした。旅行中なのだから時間を気にせず、自由に過ごせばいいのに、先のことを考えすぎて行動してしまう。しかし結局は、目の前のことにしか集中できないのだから、今、目の前のことを楽しめばいい。後のことはなんとかなるのだ。たしかに、社会で生きていくには時間を調整したり、終わりを決めておくことは重要だ。しかし旅の時くらい、時間のことは忘れてもいいのだと再確認した。何をしようと自由であり、することを決めているのは自分自身なのだから。時間よりも、自分が今どう感じているか、に集中して楽しめたらそれで良いのだ。
エピソード 4 感謝
今回のインタビューの中で、印象に残った話の一つ。それが「当たり前」についての話。
織田に長女(2番目の女の子)が生まれた時に、赤ちゃんがRSウイルスに感染し、緊急入院をして本当に命が危険に晒された経験をした。今では無事に乗り越え、元気に成長を続けているが、その時に「生きてさえいればいい、生きてるだけでめっちゃいいんだ。」と気付かされたという。今でも3人の子供達には今日生きていてくれて良かった、ありがとう、という気持ちで毎日過ごしている。ゆえに、織田の子育てのハードルは極めて低い。普段の食事も頑張りすぎないのが織田のモットーだ。
海外旅行での経験も、織田の価値観に大きく影響している。例えば、「ベッドがある」「お湯がでる」など、海外では当たり前のことではないことだ。普段当たり前に思ってしまうようなことにも感謝をして過ごす。
インドでのエピソードもインパクトがある。ある宿に泊まったとき、シャワーでお湯がでないことを管理人に報告しに行ったときのこと。「お湯がない」というと、10歳くらいの男の子が廊下を走っていき、「ごめんね、これから沸かすからちょっと待っててね。」
「なんと、なんと悪いことをしてしまったのだ」という気持ちに駆られた。シャワーのお湯を沸かしてくれていたのは、この男の子だったのだ。たきぎを燃やし、お湯を沸かす。そんな重労働を手作業で。「シャワーからお湯がでるのは当たり前じゃない。」そう思うようになった。こういう経験があるからこそ、当たり前に感じてしまうようなことにさえも感謝できるのだ。
エピソード5 夢
インタビューの序盤に、兄弟の話をしていたときのこと。
「今やってることって、小さい頃にやってることと全く変わってないです(笑)」
これ以上に幸せな生き方があるだろうか。人は皆小さい頃から夢を抱き、少なからず誰しもそのとき描いた夢と、現実を比較することがあるだろう。しかし小さい頃からの夢を叶えている、叶えた、という意識は今の織田にはあまりない。目の前の一日一日を一生懸命、自分のやりたい、楽しいという気持ちに従って生きてきた。その結果、本当にやりたいことを、小さい時から好きだったことで食べていく人生を歩んでいる。その裏では絶え間ない努力と工夫の連続がある。
小さい頃から「絵を描くこと」よりも「人に喜ばれること」が好きだったという。マンガ家に転向し、なかなか思い通りにいかないこともあった。しかし、「人に喜ばれるものをつくりたい」という想いで試行錯誤を繰り返した結果、今では多くの読者から愛される漫画を描き続けている。
「”絵を描くこと”より”人に喜ばれること”の方が好きだから、私はアーティストタイプじゃないんですよね。」織田にとって、「絵は人に喜んでもらうための単なるコミュニケーションツール」だと織田は言う。
「”絵を描くこと”の方が好きだったら織田は今の結果に辿り着くことはできていないかもしれない」と、その時思った。”人に喜ばれること”が好きで生まれてきた織田には生まれながらにしてマンガ家の素質があったのだろう。
エピソード6 旅
インタビューの最後に、織田から質問があった。「旅行は何のために行きたい派ですか?」という質問だった。何のため、と聞かれると一瞬答えに詰まってしまった。
旅行の目的には、大きく分けて2つの傾向があると、織田は自身の経験から考えている。「移動」が好きだが、場所にはこだわりがないタイプ、世界一周を志す方に多いそうだ。そしてもう一方は「目的」にこだわり、そのために旅行にいくタイプ。私自身は7か国程旅行を経験してきたが、今までの経験からいうと、「目的」にこだわってきた方かと思う。いわゆる観光地と呼ばれる場所で、これがしたい、これが観たい、その目的を達成するために、旅行をしてきた経験が多いのだと思う。しかし、より深く旅行の経験を振り返ってみると、「目的」を達成した瞬間ではなく、その旅行全体の経験の中での、ふとした出逢いや、出来事、思いがけず直面する異文化との衝撃的な出会いなどが複雑に絡み合い、思い出として、経験として刻まれているのだと気づく。そしてその経験がその後の人生に影響を与えていると思う。もはや旅行を思い立った時の「目的」は手段と化し、異文化、そして新しいものに触れているという体験を自然と求めていたのかもしれない。そしてその体験から学ぶことがあるからこそ、旅行は面白いと思う。そう考えると、「移動」し、普段と違う環境に身を置いて新しい文化に触れること自体が旅行の醍醐味であり、本質でもあるのかもしれないと思う。
エピローグ
マンガ家”織田博子”を見ていると、周りの人や家族を大切にしながら、夢を追いかけること、本当に自分の好きなことをすること、そして何より大切である自分らしくいること、全てを実現しているように見える。
インタビューを通じて感じたこと、それは織田にとって海外や旅行での「非日常」の経験のみならず、「日常」の生活での経験が活動の基盤になっているということだ。何気ない生活の中での一コマを漫画にする、それだけではなく、近所での出逢いや発見をきっかけに仕事にも繋げている。織田は身近にそういったきっかけがたくさん満ち溢れているということを、よく理解している。だからこそ日常生活を大切にしながら常にチャンスに恵まれている状態を自ら生み出し続け、チャンスを掴み続けているのだと思った。織田の目が常に輝きを放つ理由が少し分かった気がした。夢や目標、大きなことのきっかけはきっと世界中遠いところにだけではなく、身近に溢れていると気づかせてくれた。
最後に、織田からのメッセージで締めくくりたい。
「 ある程度みんな、暇になった方がいいような気がする。 」
と織田は言う。暇になると、「そういえばわたしこれが好きだったんだ!って思い出せる」と。本当に自分が好きなこと、得意なことはきっと誰にでもある、と織田は言う。幸せな生き方をするために大事なことは、余裕を持って生きることで感情のアンテナに敏感になり、本来好きだったこと、やりたかったことに向き合い続けていくことかもしれない。今、「何でもやっていいよ。」と言われたら、何をしたいだろう。本当に今したいと思っていることができているだろうか。ふとしたときに織田からのメッセージを思い出し、自分にとっての「好きなこと」をし続けていたいと思う。