織田が2015/4/17~19 ウドムルト共和国ブラン村を訪問した時の様子が、ロシアのニュースに掲載されました。
※テレビでも放映されました
以下日本語訳。写真掲載は許可取得済みです。
※インタビューを受ける際に誤訳・誤解などがあり、一部事実と異なる部分がありますが、訳注にて補足しています。
「ブラン村のおばあちゃん達に会うために、世界を電車で半周した日本人女性
織田博子(30歳)- 東京在住。ロシア出身の友人を持ち、彼女の影響でロシアを好きになった。
博子はロシアの歴史や伝統、文化に興味を持ち、5年前に広大な私たちの国を電車で旅した。
(今回の旅では、)イルクーツク、エカテリンブルグ、モスクワを旅した。
「私は電車に乗るのが好きで、特に世界最長のシベリア鉄道に乗ることはロマンチックだと感じています。」
とこの日本人は語る。
「もちろん、「ロシアを旅することは危険だ」と言われてきました。しかしそれは真実ではありません!
私はとても良い同乗者に恵まれてきました、そして彼らは私にご飯もくれました(笑)」
12日の乗車
(訳注:正確には10日の乗車)
去年、博子は「ブラン村のおばあちゃん」を初めて知った。彼女の妹が、「CHIBORIO」という曲の映像を見せてくれたからだった。
「彼らの曲がとても好きになりました!ロシアの伝統的な曲もある一方で、とても新しい曲もある」
と、博子は説明した。
「私はすっかり『ブラン村のおばあちゃん達』に心を奪われてしまいました。悲しいことがあった時、彼らの曲を聴いて元気を出しました。」
こうして、この日本人は『ブラン村のおばあちゃん達』の曲に触れ、どんなことがあっても彼らのライブを見たいと思った。
「私はこの旅行を3月初頭から計画していました。私の夫は、私がいかに勇敢であるか知っていたので、心配はしませんでした」
と彼女は笑う。
(訳注:私の夫は勇敢だったので、私の旅行を心配しませんでした、の誤訳)
「でも、両親はとても心配しました。『言葉もわからず、こんな大きな国を旅するのは危ない』と。
でも私は怖くなかった。私はおばあちゃん達に会いたかっただけなんです」
ところが、計画を具体的にしていくと、いくつか困難があることに気づき、怖くなってきました。
たとえば、ブラン村に行く手段がわからない!ということ。そこで、強力なインターネットの力を借りました。
「私はfacebookで、『ブラン村のおばあちゃん達』のファンサイトのメンバーになっていました。そこで、イジェフスクに住むナタリア・ガリーナと友人になりました。
彼女に力を貸してほしいと頼んだんです」
と博子は言う。
「私たちは旅程を組み、そしてついに私の夢にやってきました」
ブラン村に着くまで、博子は電車を乗り継いでやってきた。なんと全行程は9,000㎞、12日間もかかった。
日本からウラジオストクまでは船に乗り、
ウラジオストクからウラン・ウデ、イルクーツク、エカテリンブルグを電車で。
ウドムルト共和国には、アグルイズ(イジェフスクから40kmの距離)を経由し、イジェフスク、そしてブラン村へやってきた。
ロシアの電車はとても遅く、トイレは…恐怖でした
(訳注:このタイトルは完全に記者のオリジナルです。このような内容は答えていません)
「ロシアはこの時期とても寒いことを知っていました。ですので、もちろん暖かい格好をしてきました。それでも寒かった。
多分私たち日本人の服は、ロシアの寒い春には適応していないのでしょう(笑)」
(訳注:これも記者オリジナルです。ただし、以降の話の伏線になっています)
「イルクーツクからの電車で、私は風邪をひきました。
電車で同じ部屋になったミハイルとセルゲイは、私のことをとても気遣ってくれました。
薬やあたたかいお茶、ピロシキなどをくれました。
私はピロシキがとても好きなんです!日本の家でもよく作ります。
もちろんボルシチ(訳注:ビーツ入りのスープ)、ペリメニ(訳注:ロシア風水餃子)も。もちろんスメタナ(ロシアのサワークリーム)も添えて!
ロシア料理はとてもおいしい!
ロシアの電車の旅で最も印象に残っている2つのことは、電車の速度とトイレです。
(訳注:これも記者のオリジナルです)
「ロシアの電車は、とっっても遅かった!
ロシアの電車は最高でも時速80㎞。日本では時速500㎞です。」
(訳注:もちろん、こんなことは言っていません。そんな電車はありません)
「そして最も驚いたことは、もちろんトイレです!便器の中は、ただ穴が開いているだけ…衝撃でした。
しかも、(水を流すために)ペダルを踏む、そして便は線路に落ちていく。恐怖です!
日本ではこんなことは許されません!
とはいえ、それ以外は最高でした。人はやさしく、ベッドのシーツは清潔でした」
この日本人旅行者にとって、現地の人とのコミュニケーションの問題はさほど大きなものではありませんでした。
彼女はロシア語をほんの少ししか知らなかったにも拘わらず。
「私は普段アイフォンの翻訳機を使いました。とても便利です。
英語を理解する人がいた時は、英語を使いましたし、絵を描いて説明をしたりもしました!
(私は絵を生業としているので、絵を描いて伝える方が楽な時もありました)
他にももちろんジェスチャーを使いました。これは国際言語です」と博子は笑う。
「おばあちゃん達はとても小さかった。でも、ステージではとても大きく見えた」
4月18日に博子はアグルイズにつき、友人のナタリアと家族に会った。
そして一緒にブラン村へ行った。
「正直に言うと、私はとても緊張していました。その後、私の夢はかなったのです!とてもうれしかった」と博子は認識する。
『ブラン村のおばあちゃん達』は外国のゲストを歌でもてなした…そして、手編みの靴下まで。
「おばあちゃん達が心から歓迎してくれているのを見て、とても幸せで私は泣いてしまいました。彼女たちを抱きしめた!」
と博子は思い返す。
「彼女たちはここまでの道のりはどうだったか、と聞きました。私はただただ寒かった、と答えました。するとおばあちゃんの一人が、私にあたたかい靴下をくださいました。
これは特別なプレゼント、と言いながら。
ところで、おばあちゃん達の第一印象は、『おばあちゃん達はとっても小さい』ということでした。
私がおばあちゃん達のパフォーマンスを見た時、ステージではもっと強く、大きく、背が高いように見えました」
この嵐のような出会いの後、おばあちゃん達は博子をリハーサルに招待した。
(次の日はコンサートだった)
そのあとは、もちろん、ごちそうがふるまわれました!
「私はまずペリペチ(ウドムルトの伝統的な料理で、フランスのキッシュを小さくしたような料理。通常、キャベツや肉を入れてオーブンで焼いた料理)をいただきました。
とてもおいしい!
食卓にはジャムやピクルス、手作りはちみつや…サマゴン(自家製酒)さえありました!ちょっと飲んだけど、すごく強かった」
と博子は言う。
「でも一番重要なのは、歌!それは感動的で、美しく、とても誠実でした。おばあちゃん達は、まるで話しをするように(自然に)歌う。
私は幸せすぎて泣いてしまった。まるで夢みたい!
ブラン村をとても好きになりました。とても静かで、車がほとんどない。
私はブラン村の景色をカメラに収めました。どんなささいなことでも、日本の友だちや家族に見せたいと思ったからです」
次の日、博子はイジェフスクでひらかれた「ブラン村のおばあちゃん達」のコンサートに行った。
そして4月20日、モスクワに行き、そこから日本の家に帰った。
「私の人生の中で、一番の旅です!
私の新しい友達は、大きな感動を与えてくれました」涙をうかべてこの女性は語った。
「私が初めてロシアに行った後、ロシアのマンガ本を作りました。『私のシベリア鉄道の旅(女一匹シベリア鉄道の旅/イースト・プレス発行)』
このブラン村の旅の後も、新しい本を作りたいと思っています。この圧倒的な感情を、紙に記したいと思います」